信州の名工受賞 下平 隆弘
あの頃の自分が今日の自分に繋がっている。失敗を繰り返した日々は、無駄じゃなかった2023年信州の名工受賞 下平 隆弘 しもだいら たかひろ/1992年オリンパス(株)入社(現(株)エビデント長野)、製造部レンズグループ配属。 |
顕微鏡機器製品や工業用機器製品に使用される光学レンズ加工に携わる下平隆弘さん。社内で数名しか加工することができない高精度対物レンズを担うトップクラスの技能者ですが、20代の頃はうまくいかないことの連続だったそうです。
準備が足りていないのに、「自分はできる」と勘違い
20代の頃、私は毎年のように社内のレンズ研磨技能競技大会に出場していました。その年に1人しか手にすることができないその栄光を「何とか勝ち取りたい」と挑戦していましたが、いつも決まって何かがうまくいかない。3位以内の上位には入るのに、なかなかあと一歩が及びませんでした。
今思うと、準備が足りていなかったのだと思います。例えば、工程の前半にレンズを軸に貼り付ける作業があるのですが、この位置が少しでも曲がっていると後半で時間がかかる。でもその頃の自分は「ま、このくらいでいいや」と妥協して先に進んでしまうところがありました。やっぱり細かなところをきちっとやらないと、限られた時間の中でよいものはできないんですよね。
上司が「練習不足では」とアドバイスしてくれたこともありましたが、まだ若かったせいもあって、「自分はできる」と完全に勘違いしていた。もちろんこうした根拠のない思い込みが大事なこともありますが、この時はこれが悪い方向に出ていました。
ざっくばらんな話の中で、課題解決のヒントをもらう
失敗すると悔しかったし、つらかった。でも「やめたい」と思ったことは一度もありませんでした。大会に出場するたびに手ごたえは強くなっていたし、失敗がちゃんとうまく土台になっていることも感じられました。だからこそ「ここでくじけるわけにはいかない」、「これが俺の仕事だ」と。技能を詰めていくことしか頭にありませんでした。
あとは工場なので、元々職場全体に、よいものづくりのために「レベルアップしよう」という前向きな雰囲気があったことや、先輩に恵まれていたことも大きかったと思います。当時、職場には10歳以上年の離れたベテラン技能者が多くいて、私が失敗すると「来年は取れよ」と必ず声をかけてくれました。飲み会にもよく誘ってもらって、レンズ加工の裏ワザから、仕事を詰め込まれた時の対処法まで、自慢話も含め色々教えてもらいました。正直、面倒だなぁと思うこともあったのですが(笑)、でもやっぱりざっくばらんに何でも話せるときのほうが、課題解決のヒントをもらいやすいのですよね。
そんな中で迎えた10回目の挑戦。「これ、取れるかもな」と受賞を確信したときに、ようやく念願の最優秀を手にすることができました。当時、私は30歳。いやぁ嬉しかったですね。翌朝出社したら、先輩が私を見つけてニヤッと笑ってくれたのを覚えています。
そして現在、私は半導体検査装置に組み込まれる特別注文品の高精度対物レンズの生産を担当しています。高精度なものを毎回まったく同じに作る場合、工程の細かなところがきちっとできている必要があって、これがすごく難しいのですよ。でも振り返ると、これは競技大会と同じですね。あの頃の自分が今日の自分に繋がっていると思うと、失敗を繰り返した日々は無駄じゃなかったなぁと思います。