アプリケーションノート
scanRシステムのTruAI™ディープラーニングテクノロジーを使用した幹細胞分化における細胞周期動態のモニタリング
はじめに
哺乳類初期発生において、胚性幹細胞(ESC)は細胞特化を経てあらゆる胚性胚葉を生じさせ、最終的に成体の多数の細胞型を生成します。 ESCには、自己再生と増殖という驚くべき能力があるという特徴があり、短いGAP期(G1とG2)により分裂周期が短くなっています。 細胞分化中には、特徴的な細胞事象が発生します。 細胞は形態を変化させて約10倍大きくなり、核細胞質比が変化して、平らに細長くなります。 運命特異的な遺伝子発現プログラムが活性化し、全体的なクロマチン修飾が発生します。 重要な点として、細胞周期は速度を落とします。 分化した体細胞は、G1期とG2期が長くチェックポイント制御が短い、規則正しい分裂周期を持ちます(Padgett and Santos 2020)(図1)。
細胞周期の改変は、ESC分化で発生する現象だけではありません。 細胞周期動態の変化は生物学ではよく見られます。 例えば、細胞がウイルス感染後や悪性腫瘍により再生される場合です。 したがって、細胞分化における細胞周期動態の変化を研究することは、細胞周期制御に保存されている可能性がある機構を理解する上で重要であり、健康・疾患状態のバランスの理解にも効果があります。
分化中の変化は、単一細胞内で、細胞周期のさまざまな段階にある遺伝子符号化タンパク質の働きを計測することによりモニタリングできます(Araujo et al. 2016; Sakaue-Sawano et al. 2008)。 このようなセンサーの1つが、宮脇氏らによって開発されたFUCCI(CA)(Fluorescent Ubiquitination-based Cell Cycle Indicator)です(Sakaue-Sawano et al. 2017)。これは2つの重要な細胞周期タンパク質、Cdt1とGemininの分解をモニタリングするもので、G1期、S期、G2期の3色のはっきりとした区分(赤、緑、黄色)を、顕微鏡のYFPおよびmCherryチャンネルで観察できます(図2)。
図2: FUCCI(CA)センサーを使用した細胞周期のG1、S、G2、およびM期の測定。 (A)FUCCI(CA)センサーの概略図。 (B)Cdt1(mCherryチャンネル)とGeminin(YFPチャンネル)の発現レベルに基づくG1、S、G2、およびM期の期間のトレース例。
ただし、細胞分化における細胞周期動態のモニタリングでは、イメージングとデータ解析の両面で課題があります。 数日にわたる長期間ライブセルイメージングでは、タイムラプスプロセス全体で優れた品質の画像を得るため、安定した温度とCO2のコントロール、光毒性を最小限に抑える優しい照明、ロバストなオートフォーカスルーチンが必要です。
解析面での最大の課題は、ESCが分化中に動いて分裂し、形態を大きく変化させる間に、低い発光輝度で高密度状態にある単一細胞のセグメンテーションを行い、トラッキングすることです。
こうしたすべての課題に対処できるのが、オリンパスのハイコンテント落射型顕微鏡scanRに、cellVivo培養装置、オートフォーカス用のZドリフトコンペンセーター(ZDC)、セグメンテーション用のTruAI™ディープラーニングテクノロジー、トラッキング用の動態解析モジュールを装備したシステムです。
目的
このアプリケーションノートでは、FUCCI(CA)センサーに基づく長期イメージングを通して、TruAIテクノロジーの応用によって単一ESCの検出とトラッキングを大幅に改善できることを説明します。 FUCCI(CA)が特に有効なのは、トラッキング用の核マーカーを持たない細胞であり、余分な照明や光毒性を排除します。
これを行うため、TruAIテクノロジーを用いてディープニューラルネットワーク(DNN)モデルを生成します。DNNは、蛍光輝度が非常に弱い場合でも、あらゆる時点で多能性ESCや分化細胞の位置を確実に識別できます。 長期間にわたり細胞集団のG1、S、およびG2期を確実にモニタリングできるようになります。 その後、scanRの動態解析モジュールを適用することで、数千個もの細胞をトラッキングし、長期間にわたりトレースを評価し、単一細胞レベルの細胞周期変化について、動的な定量解析情報を得ることができます。
研究用ツールとしてのscanRシステムの多用途性を証明するため、ここに示すすべてのデータ(グラフ、散布図、オブジェクトギャラリー、トラッキング、動態トレースを含む)はscanRソフトウェアのみを使用して作成されています。
実験の設定
FUCCI(CA)センサーを発現するH1ヒト胚性幹細胞(hESC)を、50 ng/mlの骨形態形成タンパク質4(BMP4)で処理して、中内胚葉系列への分化を進展させます。 このH1細胞を、scanR顕微鏡(10X UPLANSAPOレンズ使用)でmCherryおよびYFPチャンネルを使用して、15分おきに6日間イメージングします。
図3: FUCCI(CA)センサーを発現しているhESC H1細胞の6日間の時系列画像。イメージングの最初にBMP4で刺激。 赤、緑、黄色はそれぞれ、G1、S、G2期を表します。
ライブセルイメージング条件で細胞を検出するためのDNNの作成
FUCCI(CA)センサーを発現する単一細胞は、数日にわたるモニタリングの中で蛍光輝度をさまざまに変動させます。 特に、G1期からS期への遷移では合計輝度が非常に低くなります(図2b)。 細胞を検出しにくい時点ではトラッキングが途切れるため、トラッキングアルゴリズムが失敗する場合があります。
大量の細胞を数日にわたりトラッキングするためには、非常に弱い輝度の細胞を検出可能なDNNモデルを作成する必要があります。 これについては、以前のホワイトペーパーで、長時間露光で強い照明の蛍光細胞と、短時間露光で弱い照明の蛍光細胞の画像ペアを使用すると実行可能であることを示しました(Woerdemann 2020)。 簡単に説明すると、長時間露光画像を細胞のセグメンテーションに使用して、マスクを生成します。 マスクをグラウンドトゥルースとして使用して、低露光レベルの細胞を検出できるようにDNNモデルをトレーニングします。
あるいは、解析するデータセットに手動で注釈付けし、DNNモデルをトレーニングすることもできます。 作業にはオリンパスのcellSens™ ソフトウェアを使用できます。 cellSensソフトウェアで作成したDNNモデルは、scanRソフトウェアにインポートできます。 このアプリケーションノートでは、後者の手動方式を使用し、さまざまな時点の輝度が異なる細胞に対して数百もの注釈を順に指定して、DNNモデルをトレーニングしました。
セグメンテーション: TruAIディープラーニングテクノロジーと従来の方法の比較
DNNモデルを作成したら、mCherryおよびYFPの蛍光チャンネルそれぞれに適用します。 各チャンネルのピクセルAI確率マップが作成されます。 ピクセル内のAI確率が高いほど、ピクセルが細胞に属する確実性が高くなります。 次に、両チャンネルのAI確率マップを合わせて、総和に輝度しきい値を適用することでセグメンテーションを実行します(図4eと4f)。
従来の方法と比較するため、mCherryおよびYFP蛍光チャンネルにローリングボールアルゴリズムを使用して背景を補正し、合計した総和に輝度しきい値を使用するか(図4c)、エッジ検出法を使用して(図4d)セグメンテーションを行います。 上記のすべての画像処理ステップは、scanR解析ソフトウェアで行います。
scanRシステムの統計ツールで作成したのが表1です。6日間にわたる結果が1つにまとめられています。
表1: 方法ごとのセグメンテーションが行われた細胞数の比較
0~160時間
AI確率画像に対する蛍光画像の単純な比較(図4aと4b)では、TruAI法の方が高い感度で、すべてのタイプの細胞を検出していることがわかります。 表1にまとめた結果とタイムラプス全体により裏付けされます。 従来の輝度しきい値法では、蛍光の弱い細胞は検出できず、正しい形状も判別できません(図4c)。 エッジ検出法では検出された細胞の輪郭は改善されていますが、薄暗い細胞の多くは検出されないままです(図4d)。 TruAIディープラーニングテクノロジーでは、薄暗い細胞が確実に検出され、境界線がはっきりしています(図4eと4f)。
図4: 48時間時点のESC細胞群体。a)mCherry(赤、G1期)およびYFP(緑、S期)蛍光チャンネル。 G2期はmCherryとYFPの組み合わせとして見られる(黄色)。b)mCherry(赤)とYFP(緑)のTruAI確率。 両チャンネルとも、AI確率の高い細胞は黄色で表示されている。c)mCherryおよびYFP蛍光チャンネルの総和で輝度しきい値を使用したセグメンテーション。d)mCherryおよびYFP蛍光チャンネルの総和で検出器を使用したセグメンテーション。e)TruAI確率の総和のセグメンテーションに蛍光画像を重ねたもの。f)e)と同じだがTruAI確率を重ねたもの。
細胞集団の長時間解析
TruAIテクノロジーを使用してセグメンテーションを行った細胞のmCherryとYFPの輝度を、さまざまな時間間隔で散布図に表します(図5)。 mCherry輝度のみを持つ細胞はG1期に相当し、YFP輝度のみを示す細胞はS期に相当し、両方のチャンネルの輝度を持つ細胞はG2状態に相当します。 図5では、早い時間にはほとんどの細胞がS状態ですが、その後はほとんどの細胞がG1状態になっている様子が示されています。 この集団移行は、多能性細胞と分化細胞に予想される細胞周期プロファイルにそれぞれ一致します(図1)。
図5: さまざまな時間間隔のmCherry輝度とYFP輝度を表す散布図。 散布図内の各ドットは、TruAIテクノロジーによりセグメンテーションが行われた細胞を表す。 G1、S、G2期の細胞は、それぞれ赤、緑、黄色で表す。 G1、S、G2集団の%が図内に示されている。 時間間隔は各図の最上部に示されている。
細胞トラッキング: TruAIテクノロジーと従来の方法の比較
3つの方法(輝度しきい値、エッジ検出器、TruAIテクノロジー)でセグメンテーションを行った細胞は、scanR動態解析モジュールと同じトラッキング設定を使用してトラッキングされました。 scanRシステムの統計ツールで作成したのが表2です。6日間にわたる結果が1つにまとめられています。
表2: 各方法でトラッキングされた細胞数の比較
この表は、セグメンテーションにTruAIテクノロジーを使用すると、その後のトラッキング結果が明らかに向上することを示しています。 このデータセットの場合、24時間時点の視野あたり細胞数を平均200個とみなすと(表1)、70個以上の細胞を3日にわたりトラッキングでき、4日以上トラッキングできる細胞さえあります。 たくさんの細胞を長期間トラッキングできる能力は、多数の細胞分裂にわたる細胞周期動態を統計的に有意な方法で研究できるようになるため重要です。
細胞トラックの解析
scanRシステムによって生成されたトラックごとに、各種のパラメーターを抽出できます。
- 最長トラックを識別するには、「lifetime」パラメーターをヒストグラムにプロットすると、24時間にわたるトラックのゲートを作成できます(図6a)。
- トラックをさらにフィルターにかけるには、「First (time)」および「Last (time)」パラメーターを散布図に表すことができます(図6b)。 こうすることで、初日にのみトラッキングされた細胞(細胞周期の短いESC細胞)、最終日にのみトラッキングされた細胞(細胞周期の長い分化細胞)、タイムラプスの最初から最後までトラッキングされた細胞(分化プロセスがモニタリングされた細胞)を識別できます。 トラックが識別されたら、長期間にわたるmCherryとYFPの輝度をプロットして、細胞周期動態に関する定量情報を取得できます(図6 c、d、e)。
図6:a)長いトラックのフィルタリングに使用するトラック寿命のヒストグラム(R01)。b)タイムラプスの最初から最後までトラッキングされた細胞を識別するための、トラックの最初と最後の時点を表した散布図(R01とR04)。c)、d)、e)24時間以上トラッキングされたmCherry細胞の動態トレース。それぞれ、開始点と終了点が早いもの、開始点が早く終了点が遅いもの、開始点と終了点が遅いものを表す。 時点は15分ごと。
図6cから6eでは、ESC細胞が分化してから約2時間後から24時間後まで、mCherry(G1状態)信号期間が時間と共に増加する様子が見られます。 細胞周期動態を詳細に解析するために、R01とR04の領域のトラックを選択できます。この領域では、ESCから分化細胞への変遷が4回以上の細胞分裂にわたってモニタリングされます(図6d)。
図7は、5回の細胞周期にわたり分化を遂げている1つのESC細胞のモニタリングを表しています。 図7aは、時点52(13時間)における細胞集団内のESCの位置を、時点422(105時間)までのトラックとともに示しています。 図7bは、時点280(70時間)のスナップショットを示しています。 この細胞の輝度は非常に弱いため、従来の方法では検出できなくなっています。 図7cは、同じスナップショットをTruAI確率画像で示しています。 トラッキングされた細胞の確率輝度は、他の細胞と同程度に高くなっています。 図7dと7eは、蛍光画像とTruAI確率画像のそれぞれについて、15分おきにトラッキングされた細胞のギャラリーを表しています。 G1期(赤色)が終わると、全体の輝度が必ず非常に弱くなっています。 図7fは、mCherry(上)とYFP(下)の蛍光輝度振動を表しています。ここからG1、S、G2、M状態の細胞周期期間を抽出できます。
データから、特定の細胞が、時間の経過に伴い、G1状態の時間を増加させ、S期とG2期の時間を削減していることがわかります。 M状態は常に非常に短くなっています。 正確な位置はmCherry信号内でくぼみのように見え、YFP信号内では急激な低下として示されています。
図7:a)13時間時点の蛍光スナップショット。b)70時間時点の蛍光スナップショット。c)70時間時点のTruAIスナップショット。d)15分間隔でトラッキングされた細胞の蛍光タイムラプスシーケンス。e)15分間隔でトラッキングされた細胞のTruAIタイムラプスシーケンス。f)さまざまな細胞周期期間を示す、トラッキングされた細胞のmCherryおよびYFPの蛍光トレース。 時間ステップは15分相当。 a~f内に見られる青色と灰色のコールアウトは、それぞれ13時間または70時間時点の同じ細胞を示す。
結論
ESC分化中の細胞周期動態の解析において、scanRハイコンテントスクリーニングシステムの動態解析モジュールと組み合わせた新しいディープラーニング方式は、単一細胞内での細胞周期動態の変化について、再現性が高く定量的で、統計的に有意なデータを取得できます。 蛍光測定を使用して、分化の数日間にわたり、数千個もの細胞の形状・形態の変化を識別し、トラッキングすることができます。 この方式は、初期発生や再プログラム化における細胞周期動態の研究のほか、細胞周期の調節が注目を集める形質転換した細胞(悪性腫瘍)の研究でも強力な手段となります。
参考文献
Padgett, J., and Santos, S.D.M. 2020. “From clocks to dominoes: lessons on cell cycle remodeling from embryonic stem cells.” FEBS Letters. 10.1002/1873-3468.13862.
Araujo, A.R., Gelens, L., Sheriff, R.S.M., and Santos, S.D.M. 2016. “Positive feedback keeps duration of mitosis temporally insulated from upstream cell cycle events.” Molecular Cell 64, 362–375.
Sakaue-Sawano et al. 2008. “Visualizing Spatiotemporal Dynamics of Multicellular Cell-Cycle Progression.” Cell 132, 487–498.
Sakaue-Sawano et al. 2017. “Genetically Encoded Tools for Optical Dissection of the Mammalian Cell Cycle.” Molecular Cell 68, 626–640.
Woerdemann, M., and Genenger, M. 2020. “TruAI™ Technology with Deep Learning for Quantitative Analysis of Fluorescent Cells with Ultra-Low Light Exposure.” Olympus Application Note.
著者
Joe PagdettおよびSilvia Santos
Quantitative Stem Cell Biology Lab, The Francis Crick Institute, 1 Midland Road, NW1 1AT, London, UK
Manoel Veiga Gutierrez
Olympus Soft Imaging Solutions GmbH, Johann-Krane-Weg 39, 48149 Muenster, Germany
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