現代の名工受賞 今井 豊

情熱を持った後進を育成する事が永続的な技能継承になると信じています

2020年黄綬褒章受章/2015年現代の名工受賞  今井 豊

いまい・ゆたか/1978年オリンパス(株)入社(現(株)エビデント長野)
入社時に対物組立職場でレンズクリーニング・同焦切削加工・調整工程を順次習得。その後、技能者として普及対物レンズの調整工程を担当。
2015年「現代の名工(厚生労働省 卓越した技能者表彰)」を受賞。
現在は(株)エビデント長野製造部製造管理グループ所属。
対物技能道場(今井塾)の塾長を務め、座学をはじめとした対物レンズの構造・レンズ、金物外観ランク部品の取り扱いなど基礎的な部分を「正しく解りやすく丁寧に」を指導の信条とし、理屈も理解させながら育成している。
趣味は、野球・ソフトボールなど球技全般。映画鑑賞、カラオケ、城・神社仏閣巡りなど。

今井 豊

覚悟を決める

私は子供の頃、家の前がグランドだったこともありスポーツが大好きな野球少年でした。旧オリンパス伊那工場を受けたのは、元々カメラのデザインが好きで、ずっと注目していたからです。それで縁あって伊那工場に入社し、対物レンズの光学調整に携わることになりました。
それまで外を駆け回っていた野球少年が、急に一日中じっと顕微鏡を覗く日々になったわけですから、最初はもうつらくてつらくて(笑)。先輩の指導も厳しく、ストレスで体重が一気に10キロも減りました。
対物レンズは、レンズを何層も積み重ねて製作します。その1枚がわずかにずれているだけで見え方が変わるので、それを専用の治具で微調整していきます。でも当時は今より部品の精度が低くて、技能の習得が難しかったんですよ。途中で諦めて職場を去っていく仲間を何人も見送りました。
そして入社から5年ほど経った頃には、同じ年代の中堅社員はわずか数人に。こうなるともう覚悟を決めるしかなく、そこからは辞めたくてたまらない気持ちを抑えながら、ひたすら忍耐で経験を積んでいきました。あの頃は本当に苦しかった!

「現代の名工」の受章

転機が訪れたのは入社10年目のこと。新光学系への切り替えに伴い、約200種類の新製品の立上げを担当した時です。本社の開発部門と初めて一緒に仕事をしたのですが、これがものすごく楽しかったんですよ。皆さん、知識とアイディアが豊富でね。自分にとってそれまでにないほどの刺激となりました。
その後も開発の皆さんとは、他社向けの個別注文品に一緒に取り組みました。超高精度対物レンズを造るため、全員一丸となって、先方からの厳しい要求にいくつも挑戦しました。どれも大変でしたが、やりがいがあって、もう夢中になってとことんやりました。
その後、職場を代表して、ある国立大のユーザを訪問するチャンスをいただいたんですよ。先生が実際に使用している現場を見せていただいた時、私たちの対物レンズが「顕微鏡の心臓部」であることを改めて実感することができ、同時に、世の中のためになる研究に役立っていることもわかって、嬉しく思いましたね。 こうして私は、周りの人たちから色んなことを学んでいくうちに、いつの間にか気持ちを前向きにすることができました。そして自分の調整作業の技能を大切に、職場全体を引っ張っていこうという強い気持ちで、仕事に取組めるようになりました。
今振り返ると、この仕事をここまで続けてこられたのは、一緒に働いてきた皆さんのおかげですね。10年の苦しい時期を乗り越えられたのも、仕事の達成感を味わえるようになったのも、皆さん一人ひとりが支えてくれたからこそ。本当に幸せだと思っています。

長野オリンパス(現エビデント長野)は、今までに何人もの「現代の名工」を輩出しています。でも私たち対物レンズの組立職場から受賞者が出たのは、今回が初めてなんですよ。と言うのも、高度なレンズ調整ができる一人前の技能者となるには、最低でも10年の経験が必要ですが、職場異動などで長く続けられた人がほとんどいなかったからなんです。しかも今回は、同じタイミングで本多さんも「信州の名工」を受賞!今まで注目されていなかった職場にスポットライトが当たった気分で、本当に嬉しかったです。
現在、職場にいる40名のうち、光学調整の担当は15名、そのほとんどが20~30代の若手です。幸いなことに、近年は部品の精度が上がり、製品も作りやすくなっています。これからも多くの皆さんに私の技能を継承し、モノづくりの楽しさを伝えていきたいです。

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